徒然雑記   5月12日

朝、8時半過ぎ、セブンカフェ~ ~「たから」さんで、ケアーマネージャー・ソーシャルワーカー・そして施設の方で母の介護の事で話し合い‥弟も同席。~市民センターへ・・・芳谷の山からの雨水対策の件で担当の方と。~昼帰宅。カレーがあったので、熱して食べる。~1時半過ぎ、市民病院の父のところへ。~3時前、市役所~

雑務~唐津焼の事で担当の方と・・‥雑務~6時過ぎさなえ、満州国の資料を頂く、何か手がかりが見つかれば・・・。祖父の弟さんは満州国の役所で働いていたと聞いていたので、当時の事が少しでもわかればいいけど・・・。7時半帰宅。

武雄市で鍋島家資料「唐津の図」に岸岳城祉や獅子ヶ城祉が記載されているのが見つかる。~九州屈指の大きさ(西九州最大規模)岸岳城跡の古絵図が見つかったとか。

江戸後期(19世紀前半)に描かれたものらしいが かなり詳細な絵図で実際に現地を見なければわからい程のもの。唐津城は簡単に描いてあるので、唐津藩が作ったものではあるまい。鍋島藩が何のために絵図を必要としたのかが疑問・・・? しかし、幕末において、唐津藩佐幕派の重鎮の藩、外様大名にとっては朝敵に他ならない。

そういった関係で、幕末唐津の城下を焼き討ちするため勤皇派の外様大名唐津藩の藩境まで兵を進めようとしていた時、唐津藩は藩内から出る石炭を献上することにより、焼き討ちの災禍から逃れることができたという話を,郷土史家の先生から聞いたことがあったのを思い出す。そういった計画があったのであれば、獅子ヶ城祉や岸岳城址の絵図をひそかに作ったこともうなづける?