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徒然雑記      10月  30日

朝寒かった8時半前、せぶん~波多八幡神社へ、慰霊祭の準備・・・。

9時半より、波多氏一族郎党縁者並びに炭鉱事故の犠牲者の合同慰霊祭を開式。来賓は、古川先生ご本人、山下事務所秘書の方、前参議院議員中村氏、米倉県議の方々にご出席を頂いた。~式終了後、広前で、法行城太鼓の奉納をしていただく。銅鑼の音もあり松浦水軍らしい太鼓の奉納だった。 11時より、社務所にて、岸岳城の歴史に係る興味深いお話が、黒田裕一氏よりあった。

1時半には終わる、50人近くの参列者があり人良かった。後片付けをする。3時過ぎ控え室~雑務~ ・・・5時から赤煉瓦の会の会議~・・・。s

平安時代末から、400数十年に渡って、今の唐津市伊万里市の北部一帯を支配し、発展させてきた、上浦党の武士団。 特に南北朝時代から、波多氏がリーダー格となり、朝鮮半島や中国・東南アジアとの交易をし栄えてきた。

波多城址の発掘跡からは、おびただしい中国や韓国からの輸入陶磁器の破片が見つかっている。その出土品の70%近くは中国東南アジアの陶磁器。次に多いのが朝鮮半島のもので約15%、日本産はわずか5%。 

波多氏らが経済力をつけたのは海外との交易が第一、第二は木材、第三がコメなどとの事、木材の有名な産地だったとは、意外だった。そういえば、船山とか帆柱とかの地名があるよなぁ~・・。秀吉もやはり海外交易の拠点となりうるこの上松浦の地を自分の直轄地にしたいと思ったのは当然の事だろう。だから、理由なき理由で、波多氏を取りつぶし、腹心の寺沢に治めさせたのだろう・・・。しかし、六公四民の課税は、領民にとってはきついよなぁ~ふつうは5公5民か4公6民なのに、かなり重税・・・。

でも寺沢氏は2代で滅亡・・・・。