読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

徒然雑記     5月20日

  朝、7時半過ぎ、セブン、木下さんをのせて、フェリーターミナルへ、青山さんと落ちあい、8時40分の壱岐行のフェリーへ・・。10時20分印通寺着。タクシーで目的地を回る。 最初に、郷ノ浦に残る「亀の丘城跡」 永仁2年(1294)岸岳城主波多宗無が築いたもの。次に、歳ノ丘の宝筐印塔=波多壱岐守 盛の供養塔。肥前上松浦波多郷(唐津市北波多)を本拠地とした波多氏は,文明4年(1472年)波多 泰の代から、ほぼ100年間にわたり壱岐全島を領有した。泰の子は興、その子が盛である。

華光寺・神山の宝筐印の塔波多宗無の妻室対馬の宗氏の息女の墓。

重山塚=波多隆弟で波多源七郎重、家臣の裏切りにより無念の死遂げた人物、波多重は弱冠にして容姿端麗、農民をいたわる心が厚いひとであったので、土地の人々は、その死を悼み、この地に祭ったとの事。又十手原の1本末には、重を守る為犠牲になった従士3人の墓もあった。昼過ぎ芦辺町の鮨の店で昼食をとる 壱岐国の博物館のにある展望台に上り、原の辻遺跡など古代壱岐国の中心部が見渡せた。国の日本遺産第一号の認定を受け,パンフレット等も作ってあった、島内のバスの後ろには日本遺産をPRしたラッピングバスもあった。観光パンフレット様々な分やに分けてつくってあった。壱岐市内の神社を紹介したパンフレットもあった。波多氏の足跡を探しに行ったが時間が取れず 十分ではなかった。

3時半の、印通寺発のフェリーで唐津へ・・・。途中、虹ノ松原の海岸が白い線の様に見えた。唐津城も、西側だけでも白い塀があれば、天守閣が際立ち より城らしく見えるよなぁ~・・・。クルーズ船の入出航に東港は背景がいいと、常々いっているので、その確認のための壱岐行きでもあった。しかし、黄砂かPM2,5影響がなければ、松原の緑も白砂青松の海岸も、もっときれいに見えるのにと思った。

6時前、控え室雑務~7時半、社体へ、ラッパ隊の訓練会場へ、さなえに壱岐の焼酎を届ける、Mさんが来た・・。9時半過ぎ帰宅。