徒然雑記     4月26日

 

朝8時過ぎ、セブン、9時過ぎ、波多八幡神社・波多大明神そして、社務所前の戦没者慰霊廟の参拝・・。10時過ぎ市民センターへ、パト班産業担当と・・・。

10時半、北公へ、戦没者慰霊祭会場。  11時より式典、来賓として、議長挨拶。

献花~ 遺族謝礼12時過ぎ終了・・・。~市役所へ・・。オデカフェで、パスタ|からっちゅの方に会い~曳山~1時半過ぎ、控え室。岩崎先輩からイベントの案内が来ていた。  第9回東風会展~6月3日から5日まで、旧唐津銀行で開催されるとの事。

~雑務。6時過ぎ退室、さなえで 青山さんとしばし雑談、壱岐の波多氏関係の遺跡について・・・。~なかよし村~8時帰宅。

 

肥前窯業圏が日本遺産に認定。佐賀長崎の8市町村で構成する「日本磁器のふるさと 肥前」という事で認定、県内では初めてのこと。唐津もなんとか入っていたので、ご支援頂いた皆様方のご努力に感謝! そして、陰ながら努力した甲斐もあった!

特に、地元の国会議員(古川・福岡・山下)の先生方の御尽力、そして坂井市長を始め市の関係者の皆さんにも感謝したい。 

唐津焼は、文禄慶長以前、すでに、この地を支配していた波多氏が、朝鮮半島より陶工を招き、岸岳の山麓ですでに雑器を焼かせていたもの、いわば近世の陶磁器の生産技術が最初に入ってこた所でもある。その後、文禄慶長の後、多くの陶工を、各地の武将たちが連れて日本に帰ってくる、そしてその陶工たちとともに、日本の陶磁器の技術の変革始まっていく。磁器の祖といわれる李三平も最初は多久で陶器を焼いていたはず、その後、泉山で陶石を見つけてから、磁器を焼いただけのこと。唐津焼も有田焼も技術的には変わらない。と陶土と陶石の違い・・・。

数年前、肥前の窯跡群を世界遺産にと保利先生が座長となり何回か会合があったようだが、いつの間にか立ち消えになった経緯もあるので、まずは「日本遺産」になったことは喜ばしい事である。  しかし苦言もある、「肥前窯業圏」はいい。「日本磁器のふるさと 肥前」は「日本陶磁器のふるさと 肥前」にするべきだった。特に唐津は、有田に先行して、近世の陶磁器の製法が最初伝来した所である。まさに近世の陶磁器の製法は、唐津の地から始まったもの。割竹式の登り窯・蹴りろくろ・本格的な高火度の施釉薬 等々それまで日本になかった、当時の最先端の焼き物づくりの技術が最も早くこの地に伝えられていた事など・・。 しかし、有田が中心になるのは仕方ない面もある。やはり有田をどうかしようという思いが強い。唐津は、関係者の人たちが自ら声を出さない傾向にある・・・・・。

世界遺産になって「三重津の海軍所」跡の様に地元からの強い要望があると、表面には何も残っていなくても、そして、時期は短くても、先駆的な取り組みがあったという事で、評価される。佐賀の近代化遺産というなら石炭産業の方が妥当。

何といっても唐津も「日本遺産」に入ったのだから、唐津焼の魅力を内外に発信していく良い機会ととらえ、様々取り組んで頂きたい。 特に、観光面そして窯元の方たちもみんなで唐津焼を盛り上げようという気持ちになってもらいたいものだ。

熊本地震激甚災害に指定へ~安倍政権即時対応へ・・・。