偽印活動雑記  10月4日

朝9時前、ヒキヤマ、松浦党研究会の探訪会の話題~今日あるので行けず、法行城・重橋城・黒川氏居城・畑津氏御嶽城等々。

10時前、波動水の山崎さん見える。

~控え室~決算の議案質疑の原稿思案~12時過ぎまで。

1時前、水産会館へ、「ボルトンキャッスル号唐津港寄港100周年を祝う会」イベント会場の準備。風強し~。BK号の模型他3隻の船の模型を会場入り口に展示する。

予定通り15:00より記念式典始まる。記念講演は、竹尾氏と田島氏の両名。 ボルトンキャッスル号にかかわる話や唐津港の歴史的な話をしていただく。終了後、緑地公園にある、過去の記念碑の真ん中に、BK号寄港100周年の記念碑の除幕式と記念撮影。

15:30より水産会館1階で、懇親会 保利先生、山下先生、古川知事、坂井市長~挨拶。熊本議長の乾杯兼挨拶で懇親会・・・。

1時間ほどいて~JSSへより9時過ぎ帰宅。

ボルトンキャッスル号寄港100周年の記念事業。これを通して、なぜ当時数ある日本国内の港がある中、唐津港に寄ったのか。 まさに寄港した大正3年頃までに、唐津港に寄れば良質の石炭が詰めるという事が、当時の欧米諸国に知れ渡っていたという歴史的な背景があったからだ。明治時代(M18年~明治末)佐賀県内の炭鉱で、県内最高の出炭量を誇った芳谷炭鉱(竹内綱・明太郎親子らが経営)の存在があってのこと。その存在があって、唐津鉄工所や、小松製作所、そして早稲田の理工学部創立につながったことも忘れてはなるまい。

その後相知や厳木の炭田も開発が進み。大正から昭和にかけて唐津港は石炭の積み出し港や韓国釜山との航路などで栄えてきた。

今回の記念イベントは、これをきっかけに、唐津港を新たな国際港としての繁栄を願っていく機会としてとらえたい。それにしても、模型を苦労して作ってくださった、岩崎先輩を始め関係者の努力に期待したい。